瀬織津姫に会える神社|瀬織湯姫と龍神、天照大神を祀る神社めぐりのブログ

縄文の女神“瀬織津姫”と龍神を祭神として祀る神社や、天照大神と縁ある神社・場所を訪ね歩いた日々の記録です。

瀬織津姫に会える神社|伊豆神社「由緒書」に残された、瀬織津姫と親神(母神)の物語。

瀬織津姫の母神を祀る伊豆神社「由緒書」に、瀬織津姫誕生秘話があった。

瀬織津姫の母神を祀る伊豆神社

瀬織津姫の母神を祀る伊豆神社
瀬織津姫の母神を祀る伊豆神社「由緒書」

神社名 伊豆神社

鎮座地 遠野市上郷町来内六地割三十二番地ノ二

祭 神 瀬織津姫命(セオリツヒメノミコト) 俗名  おない

遠野三山(早池峰山、六角牛山、石上山)の守護神の親神

例祭日 旧暦9月17日

 坂上田村麻呂が延暦二年(西暦七八三年)に征夷大将軍に任命され当地方の征夷の時代 に此の地に柘植の一手段として一人の麗婦人が遣わされ、やがて三人の姫神が生まれた。 三人とも、高く美しい早池峰山の主になることを望んで、ある日この来内の地で母神の「 おない」と三人の姫神たちは、一夜眠っている間に霊華が胸の上に授かった姫神が早池峰 山に昇ることに申し合わせて眠りに入った。夜になって聖なる花が一番上の姉の姫神にあ ったのを目覚めた末の姫神がみつけそっとそれを自分の胸の上に移し、夜明けを待って早 池峰山に行くことになり、一番上の姫神は六角牛山へ(石神山へとの説もある)二番目の 姫神は石神山へとそれぞれ別れを告げて発って行った。此の別れた所に神遣神社を建立し て今でも三人の姫神の御神像を石に刻んで祀っている。
                           ー由緒書よりー

注)上記の部分は、「エミシの国の女神」では、[中略]としてほとんど記載がありませんでしたので、下記のサイトより転載させていただきました。
玄松子の記憶ー伊豆神社 URL https://genbu.net/data/mutu/izu_title.htm

「遠野物語」にも、遠野の三山伝説、三人の姫神伝説をこう記述してあります。

「大昔に女神あり、三人の娘を伴ひてこの高原に来たり。今の来内(らいない)村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、今夜良き夢をみたらん娘によき山を与うべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止まりしを、末の娘目覚めてひそかにこれを取り、わが胸の上に載せたりしかば、つひに最も美しき早池峰の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。
若き三人の女神各三つの山に住し、今もこれを領したまふゆえに、遠野のどもはその妬みを恐れて今もこの山には遊ばずといへり。」
                        柳田國男著「遠野物語」二話より
伊豆権現の社とは、現在の伊豆神社のこと。


「エミシの国の女神」に、瀬織津姫誕生秘話があった。

エミシの国の女神 (菊池展明著)

エミシの国の女神 (菊池展明著)

この伊豆神社の「由緒書」を「エミシの国の女神」の筆者菊池展明氏が本の中でとても興味深い解説をしていましたので、ぜひご紹介したいと思い、拙いながら箇条書きに纏めてみました。(もし説明不足や間違いがありましたら、どうぞご容赦下さい。)

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・持統天皇の時代(645年 - 703年)東国はまだ王化とは無縁な「化外の地」であった。
・坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命され「征夷(王化)」のために遠野にやってきた時、三河の国から「拓殖婦人」もともにやってきた。

・この「拓殖婦人」の目的は「平定」後に国策であった「蚕業奨励」のためだった。
・この「拓殖婦人」と伊豆神社由緒書にある「俗名 おない」さんが、はたして同一かどうかまでは定かではない。

・しかし、瀬織津姫=天白神=養蚕の神が三河に伝えられ、養蚕の神=オシラサマ及び瀬織津姫が遠野に伝えられている事実との共通項は無視することができない。

・この「おない」さんが「遠野養蚕祖神」だったとしても、不思議ではない気がする。

・「おない」さんは、やがてこの地で三人の娘をもうけたという。

・三人の娘たちは、やがて遠野盆地を囲む早池峰(はやちね)山(1914m),六角牛(ろつこうし)山(1294m),石上山(1038m)に行き、それぞれの山の女神になった。

・そして「おない」さんは「遠野三山の守護神の親神」つまり瀬織津姫と一体になった。

・「おない」さんが遠野にやってきた当時、彼女は「養蚕=機織り」という手業を身につけていた新進の婦人だっただろう。
・そしてこの「養蚕=機織り」とも関わりがあり、大事に秘してきた自らの守護神を、この地に伝えていったのではないかと想像するのが楽しい。


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箇条書きは以上ですが、伊豆神社「由緒書」の時代背景が垣間見え、瀬織津姫の母神を祀る「伊豆神社」の存在感が、これまでより増したのではないでしょうか?。

 

ところで、「エミシの国の女神」にはさらに興味深い一文があります。

「天白神はシラの神であり、それがオシラサマに転じ、オシラサマはさらに様々な小さな神々に分化して、遠野に伝わっている。
曰く、ザシキワラシ、河童、クラボッコ、べろべろの鉤・・・。「遠野物語」はそれらの小さな神々がイキイキと跋扈跳梁する世界でもある」と。
これはまた別の機会に纏めてみたいと思います。


<追記>『綾織村郷土誌』には、前九年の役で敗れた安倍宗任の妻「おない」が「おいし」「おろく」「おはつ」の三人の娘を連れて当地へ隠れ、人民の難産難儀の治療にあたり、人命を助けた功により祀られたと別の伝承が記載されています。