瀬織津姫に会える神社|瀬織湯姫と龍神、天照大神を祀る神社めぐりのブログ

縄文の女神“瀬織津姫”と龍神を祭神として祀る神社や、天照大神と縁ある神社・場所を訪ね歩いた日々の記録です。

故安倍元総理のルーツは、東北地方?あるいは岩手県?

故安倍元総理の祖先は、本当に東北の豪族安倍貞任・宗任の兄弟なのか?

故安倍元総理のルーツは、東北地方あるいは岩手県にあるのでは?、祖先は平安時代の東北の豪族、安倍貞任(さだとう)・宗任(むねとう)の兄弟かもしれない?、という説がありますがはたしてどこまで本当なのでしょうか?

岩手山と、広大な小岩井農場

5月まだ山頂に雪を頂く岩手山と、広大な小岩井農場

故安倍晋三氏は東京生まれですが、本籍地は山口県の現長門市。1991年、父晋太郎氏の急死により父の地盤を引き継ぎ、衆議院選挙に山口1区から出馬しています。

では東北地方あるいは岩手県とどんな繋がりがあるのでしょうか?

結論を先に書きますと、「故安倍晋三氏のルーツは朝廷と戦った東北の豪族安倍氏だった」というのは有力な説だと私には思えます。

故安倍晋三氏は、評論家日下公人さんとお会いした時「「私の名前、安倍の『倍』という字は、安倍貞任(さだとう)、宗任(むねとう)から来たもので・・・」と話されたといいます。

また、古沢襄氏のブログ記事「安倍宗任と安倍晋三」で、氏は『安倍晋三官房長官の父・晋太郎と話をしたことがある。

私が岩手県の出身だといったら「安倍家のルーツも岩手県」と応じてきた。

山口県と岩手県が、どう結びつくのか、晋太郎は「安倍宗任の末裔なんだよ」と言っていた。』と書かれています。

さらに、安倍晋太郎氏(元外相)は、盛岡タイムス社が発行した『安倍一族』(1989年発行)に「我が祖は『宗任』」と題して、文章を寄せています。

御所野縄文公園の縄文住居跡

御所野縄文公園の縄文住居跡

岩手県のホームページには

「安倍宗任(あべのむねとう・貞任の弟)の一説として、合戦の後、大島(福岡県宗像市)に流された宗任は「安昌院(あんしょういん)」を開基したといわれています。

その宗任の墓は、安昌院の北側にひっそりと建っています。」とありますので、現在の福岡県宗像市で没したと思われます。

 

朝敵といっても東北の雄安倍氏の反乱は、本来は朝廷側だった役人の貴族も複数安倍氏側につくような反乱であったと言います。

宗任は乱後に九州に配流になり、その後に九州筑前の宗像氏に仕え、そして後の子孫が源平合戦で平家方についた結果流罪となり、その子孫が安倍首相の家系となったとのことです。

最後に、ウィキペディアの記事では「安倍氏(奥州)」の記事内「末裔」の項に

  • 奥州藤原氏の最後の当主・泰衡の次男秀安から良衡→信衡→頼衡と続いた後、頼衡嫡男・孝衡から安倍氏を名乗り、現代まで血筋が残っている。

  • 他にも、安倍貞任の子孫を名乗る津軽安東氏安藤氏、その後裔で戦国大名の秋田氏、安倍宗任の子孫を名乗る九州松浦党がいる。

  • 政治家の安倍晋三安倍宗任を祖とし44代目の末裔であるとしている。

と書かれています。

これらの情報を合わせますと、やはり「故安倍晋三氏のルーツは朝廷と戦った東北の豪族安倍氏だった」ではなかったのかと思うのです。

東北人の私としては、ご縁があったことに、心温まるものを感じます。

間も無く故安倍晋三氏の国葬が執り行われますが、これまでの実績を振り返りつつ、心静かに見送りさせていただきたいと思います。