瀬織津姫に会える神社|瀬織湯姫と龍神、天照大神を祀る神社めぐりのブログ

縄文の女神“瀬織津姫”と龍神を祭神として祀る神社や、天照大神と縁ある神社・場所を訪ね歩いた日々の記録です。

瀬織津姫に会える神社|瀬織津姫を祀る“桜松神社”へ再び

八幡平市・桜松神社

八幡平市・桜松神社

私の瀬織津姫神社巡りの原点“桜松神社”へ再訪

令和5年7月1日 八幡平市・桜松神社 参拝


令和4年4月、瀬織津姫を祀る神社を巡ろうと思い立ち、この桜松神社から始めた私の神社巡りも、あっという間に1年が過ぎてしまいました。

 私がここを最初の神社に選んだ理由は、ある時“瀬織津姫伝道師 山水治夫氏”の著書を読み、山水氏も“瀬織津姫を祀る神社巡り”を、ここ桜松神社から始めたことを知ったからでした。

桜松神社・拝殿

桜松神社・拝殿

瀬織津姫を祀る神社が、全国でも岩手県にもっとも多く存在することから、いつしか岩手県内の多くの神社を訪れていました。

その間、「瀬織津姫命というエネルギー(波動)」は、宇宙神ともいうべき高次元の存在から、私たちが理解できる人格神の次元まで、幾つもの次元で存在しさまざまな神名で尊崇されているのだ、と理解するようになりました。

そしてようやく、私が瀬織津姫を祀る神社を参拝する理由が“瀬織津姫のエネルギーに触れてみたい”からだったのだと得心しています。

ただ残念なことに、私には「見えないエネルギーの存在」を感じる力がなく、どちらの神社にお参りしても“何となく居心地が良い”とか“何となく落ち着かない”程度なのです。

ですから今日も私より「見えないエネルギーの存在」を感じ取る力に長ける“我が家の奥さん”を伴い、ここ桜松神社へ参拝に訪れました。

桜松神社・鳥居

桜松神社・鳥居

 樹齢二百年を越える杉や松が生い茂る参道を進むと一帯は広い桜松神社の境内です。

多くの神社では、鳥居を境に神社の中にはご神気が満ちているといいます。

先週訪れた丹内山神社でも、一番下の鳥居(四ノ鳥居)はいわば門番的な役目の鳥居であると、ご案内した方から教えて頂きました。

最初の山門

最初の山門

この桜松神社で「見えないエネルギーの存在」を最初に感じるのは、写真上の“山門”だそうです。(“我が家の奥さん”談)

2番目のの山門

2番目の山門

そして奥に進みより構えの大きな山門(写真上)に、先ほどより“強いエネルギー”を感じる、といいます。(“我が家の奥さん”談)

天井や壁には古いお札がいっぱい張られており、盛んだった不動信仰を今に伝えているそうです。

ここ桜松神社が、古来より多くの修験者の道場地として、藩主豪族の祈願所として使用された由緒ある霊場であることから、修験者や祈願者の業を守るべく、この2つの山門に強弱の結界の役目があったのではと思うのです。

ここから霊場らしい様相にかわる

ここから霊場らしい様相にかわります

2つ目の山門を過ぎると雰囲気がかわり、より霊場らしい様相となってきます。

右に2本の木が仲良く結びついた“縁結びの木”があり、若いカップルが手を合わせている様子を時々見かけました。

右上の岩窟に鎮座する龍神様

右上の岩窟に鎮座する龍神様

不動堂の少し手前、右上の岩窟に鎮座されている龍神様です。

切り立った崖の斜面には小さな祠が設けられており、内部には白い蛇が祭られています。

崖の岩窟にある不動堂

崖の岩窟にある不動堂

切り立った崖の岩窟に建てられている桜松神社の不動堂。

“不動の滝”の名前の由来となる“不動明王”はこの社に安置されているそうです。

不動明王と瀬織津姫のエネルギーは同じものであるといいますから、ぜひ参拝したかったのですが、残念ながらかないませんでした。

不動堂の左は立ち入り禁止

不動堂の左は立ち入り禁止の修験者の道

不動堂の左には、修験者が修行のため分入ったと思われる道が、奥へと続きます。

修験者は山伏とも呼ばれ、山岳が持つ自然の霊力を身に付ける事を目的として、日本各地の霊山とを踏破し厳しい艱難苦行を行なったといいます。

この不動の滝一帯がその霊場だったことがよく伝わってきます。

不動堂を参拝し、この崖を見つめていた“我が家の奥さん”でしたが、

「自分が修験者の衣装を纏い、草鞋ばきでこの崖をよじ登っている姿が、脳裏に浮かんできた」と教えてくれました。



上の写真は、昨年4月頃春の日差しを暖かく感じるある日の写真ですが、まだ残雪がたっぷり残っていました。

この時私も、「この奥に分入ってみたい」という思いが湧いてきたことを、今でもハッキリと覚えています。

もしかしたら、私たち夫婦の過去生に“修験者の時”があったのかもしれません。


ここまでお読みいただきありがとうございます。