瀬織津姫に会える神社|瀬織湯姫と龍神、天照大神を祀る神社めぐりのブログ

縄文の女神“瀬織津姫”と龍神を祭神として祀る神社や、天照大神と縁ある神社・場所を訪ね歩いた日々の記録です。

瀬織津姫に会える神社|瀬織津姫が封印された理由とは?

瀬織津姫が封印された理由は何だったのか、なぜ隠されたのか?

早池峰湖畔に立つ瀬織津姫の像

早池峰湖畔に立つ瀬織津姫の像

2023年8月16日(水)

瀬織津姫
(せおりつひめ)は、神道の大祓詞に登場する女神であることは最近知られるようになりましたが、なぜか古事記日本書紀には記されていない神さまです。

瀬織津姫は、饒速日命(にぎはやひのみこと)や、天照大御神との関係も深いのに古事記日本書紀には記されておらず「封印された神さま」「隠された神さま」とも呼ばれたりします。


瀬織津姫がなぜ封印されたのか、隠されてきたのか?

その理由は「大和朝廷が日本で勢力を拡大するためには不都合な存在だった」ということでは諸説共通しているようです。

諸説には少しずつ違いもあり興味深いので、3方の説をご紹介してみたいと思います。

瀬織津姫が封印された理由/1.山水治夫氏

山水治夫氏推奨の桜松神社と不動の滝

山水治夫氏推奨の桜松神社と不動の滝

『 瀬織津姫が隠されてきた本当の理由はわかりませんが、多分こういうことだろうと思う説は、大和朝廷が天照大御神を女神としたことで、男神・天照大御神(ニギハヤヒ)も表に出せなくなってしまった。

とすると当然ニギハヤヒの相方の瀬織津姫も表に出せない。

ましてや日本の皇祖神・天照大御神を女神としたので、それまで水の豊かな日本国で崇められていた瀬織津姫が今まで通り表にいてもらっては困るわけですね。

だから古事記・日本書紀にも書かれてない。

しかし神々の書物を残そうと思ったら“水の神(瀬織津姫)”を載せないわけにはいかない訳です。

だから苦心していろんな別名を使った。

自分の中でパズルがはまったのですが、記紀に分霊(わけみたま)の一柱として出てくる「菊梨姫(くくりひめ)」が瀬織津姫だと僕の中でハッキリとわかりました。』

※山水氏のYouTube番組「瀬織津姫はこれまで隠されてきた神さま」から書き起こしました。
記紀(きき)とは『古事記』と『日本書紀』との総称。

瀬織津姫が封印された理由/2.“瀬織津姫ツナグ姫旅”さん

瀬織津姫の光(イメージ)

瀬織津姫の光(イメージ)

瀬織津姫が歴史から消された理由を一言で言えば、「権力者や支配者層にとって瀬織津姫の存在は都合が悪かったから」。

当時の為政者・持統天皇(女性)は、「自身がが天皇であることの正当性を裏付けるために、天照大御神を女神であることにしたかった」という説があります。

飛鳥時代から奈良時代にかけて、推古天皇や皇極天皇のようにしばしば女性が天皇となりました。

しかし男性天皇に比べると数少なく、持統天皇(女性)は自身の地位の正当性に不安があったと思われます。

天皇の先祖であり最高神である天照大御神が女神であることにするためには、天照大御神の妻(瀬織津姫)の存在がとても都合が悪かった。

もし瀬織津姫の浄化の力が世界中に広まると、「愛と調和の世界」となり、お金も不要となり、物資も分け合えば事足りてしまい、利他精神の世界になります。」

それが都合の悪い権力者や支配者層は、古事記・日本書紀からその存在を消したのではないか、と思われます。

※“瀬織津姫ツナグ姫旅”さんのサイトから引用しました。
(URL  https://daikoku-inc.com/himetabi/first/seoritsuhime-seal/#toc1
※ 持統天皇(女性)は飛鳥時代(在位690~697)の第41代天皇。

瀬織津姫が封印された理由/3.“矢島奈月妃”さん

瀬織津姫は古代日本で広く信仰されていた縄文の神様です、つまりは大和朝廷とは敵対する組織の神様となります。

だからこそ大和朝廷は瀬織津姫の存在を徹底的に隠しました。

その最大の根拠となるのが古事記や日本書紀、古事記では瀬織津姫は登場せず女神の天照を最高神としています。

瀬織津姫を消すという流れは明治時代になってさらに加速することになります。

明治時代は天皇を中心とする社会を目指したからです。

そして天皇は天照の直系子孫だからこそ権威を持つとされたのです。

女神の天照を中心として日本に作りかえようとした明治政府は、天照より強力な女神である瀬織津姫がいては困るわけです。

だからこそ明治天皇の勅命で瀬織津姫を歴史の闇に葬りました。

※“矢島奈月妃”さんのサイトから抜粋させて頂きました。
(URL https://fieasia.net/archives/16845

瀬織津姫が封印された理由/まとめ(感想)

丹内山神社の磐座・胎内石

丹内山神社の磐座・胎内石

いつの時代でも、どこの国でも、時の権力者の望むことは同じなのですね。

縄文時代の人々の生活圏は、北関東地域まで及んでいたといいます。

大和朝廷がその勢力範囲を関西、関東へ広げるにつれ、当然瀬織津姫の存在が不都合になり、封印しようとした。

しかし、高次元のエネルギーである瀬織津姫を、人間の力では封印できるわけもなく、お名前を隠したり変えたり、あるいは自分達の信奉する神さまの一部に取り込んだりした、のではないかと思うのです。

そして時代が過ぎ、瀬織津姫饒速日命のお力が解放される時に至った。